特別展・企画展

第94回企画展「くらしの道具―今昔モノがたり―」


94th Feature Exhibition Folk implements of all times and places

日本のくらしのなかで使われてきた道具は、時代の営みを反映して、さまざまな変化を遂げてきました。長い時間を経て受け継がれてきた道具を観察すると、モノを大切にする思いや、モノに込められた先人たちの知恵と工夫を感じ取ることができます。それらが遙か昔に生まれ、伝来したときはどんなモノだったのか。同じモノが他の国でも同じ使われ方をするのか。時代の流れを経糸に、地域の広がりを緯糸に、紡ぎ出す広大な『今昔モノがたり』を読み解いていただきます。

 

会期:2024年1月17日(水)~3月4日(月) 

休館日:火曜日
時間:午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
入館料:大人500円・団体(20名以上)400円・小中高生300円 ※常設展示もご覧いただけます
会場:天理大学附属天理参考館 3階企画展示室 【交通アクセス
主催:天理大学附属天理参考館
後援:天理市・天理市教育委員会・歴史街道推進協議会
協力:近畿民具学会・天理大学附属天理図書館・天理大学文学部歴史文化学科

 

出品リスト(ファイル名:94-list.pdf ファイルサイズ:1.51MB)

第94回企画展チラシ(ファイル名:94-chirashi.pdf ファイルサイズ:1.43MB)

 

ポスター

 

関連イベント(要入館券)

●ムセイオンバトル―参考館のイチ推しはコレだ!―

 2024年1月18日(木) 午後1時15分~2時15分
 出演:齊藤 純(天理大学教授)、天理大学文学部歴史文化学科学生、幡鎌 真理(当館学芸員)他
 会場:天理参考館 企画展示室

天理大学の教員、専攻の学生、学芸員がそれぞれ本展イチ推しの資料を熱く語ります!当日観覧の皆様に投票いただき、最高得票数の資料に投票した方のなかから1名様に館のグッズをお渡しします。

 

●トーク・サンコーカン(当館学芸員による講演会)

 会場:天理参考館 研修室
 定員:100名(当日先着順・要入館券)

「くらしの道具 古今東西モノがたり-SDGsな生活実践-」
 2024年1月24日(水) 午後1時30分~3時(開場 午後1時)
 講師:幡鎌 真理(当館学芸員)

「道具にみる龍とドラゴンの東西比較文化」
 2024年2月22日(木) 午後1時30分~3時(開場 午後1時)
 講師:梅谷 昭範(当館学芸員)

 

●ワークショップ「わらの亀づくり」

 2024年2月10日(土) 午後1時30分~3時30分
 講師:佐々木 久育(元当館学芸員)
 参加費:600円(入館料・資料代・保険代含む)
 定員:10名(事前申込み制)

 

ギャラリートーク「#むかしの道具を知ってる会」全6回
(マンデートーク)

 ①2024年1月22日(月)「ちゃぶ台と平等」
 ②2024年1月29日(月)「“鍋道”ではなく“庖丁道”のワケ」
 ③2024年2月5日(月)「おひとりさまの温もり」
 ④2024年2月19日(月)「木の恵みがはぐくむ道具」
 ⑤2024年2月26日(月)「『舌切り雀』のおばあさんの言い分」
 ⑥2024年3月4日(月)「コロンブスの交換」
 時間:午後1時15分~午後1時35分
 講師:幡鎌 真理(当館学芸員)
 会場:天理参考館 企画展示室

 

●寒の味噌づくりを見てみよう

 2024年2月3日(土) 午後1時30分~3時
 講師:渡辺 百代(当館職員)
 会場:天理参考館 2階ホール
 ※時間内随時見学可能、試食や持ち帰りはできません。

 

ブログ 布留川のほとりから

・天理小学校で第94回企画展の紹介と食育授業を実施 2023.11.24【第94回企画展ブログ1】

・第94回企画展「くらしの道具-今昔モノがたり-」のポスターとチラシが納品されました! 2023.12.1【第94回企画展ブログ2】

・なつかしの黒電話! 2023.12.15【第94回企画展ブログ3】

・ムセイオンバトル開催! 2024.1.17【第94回企画展ブログ4】

・ムセイオンバトル開催が開催されました!イチ推し資料は… 2024.1.18【第94回企画展ブログ5】

・第94回企画展関連のオリジナルかるたを天理市に贈呈しました! 2024.1.19【第94回企画展ブログ6】

・2月3日(土)味噌づくりイベントを開催します! 2024.2.1【第94回企画展ブログ7】

・2月10日(土)藁でおめでたい亀をつくります! 2024.2.5【第94回企画展ブログ8】

・小学3年生が「むかしのくらし」を実感できる意義 2024.2.8【第94回企画展ブログ9】

・味噌づくりイベントを開催しました 2024.2.13【第94回企画展ブログ10】

・ワークショップ「わらの亀づくり」を開催しました 2024.2.16【第94回企画展ブログ11】

・「#むかしの道具を知ってる会」は残り2回となりました! 2024.2.23【第94回企画展ブログ12】

・第94回企画展「くらしの道具-今昔モノがたり-」はもうすぐ終了します! 2024.3.1【第94回企画展ブログ13】

 

 


 

1.「いただきます」の道具 ―食と文化―

わたしたちは、「ごはん、食べましたか?」と言います。中国、朝鮮半島、ラオス、ミャンマー、インドネシアなど東アジアの国々でも同じようなあいさつがあります。すべて米を食べる人々です。この場合、「ごはん」=食事のことで、主食を意味します。中国で主食が「飯(ファン)」、 おかずを「菜(ツァイ)」と表記しますが、日本でも「一汁一菜」という食事の形式があります。これは、1種類の汁物と1種類の副菜(漬物)に、ご飯が付く食事を指します。ご飯が付くのは当たり前なのであえて言わない、それほど米は身近な大切なものだったのです。
日本では縄文時代晩期からイネが栽培されるようになり、弥生時代には水田による稲作が、各地に広まります。田や畑をつくり、農作物を育てて収穫する人たちを「農耕民」といいます。動物を飼育して牛乳やチーズなど乳製品や肉を主な食べ物とする人たちを「牧畜民」や「遊牧民」、野生の動物をとらえたり植物の実などを採集してくらす人たちを「狩猟採集民」といいます。日本人は「農耕民」にあたります。同じ農耕でもヨーロッパは稲作ではなく、小麦を育てました。“小麦が人をつくった”ということわざがあるほど、古代エジプト文明以来、数千年の間小麦が人々の食事の中心です。しかしいわゆる「メインディッシュ」はパンではなく、肉料理や魚料理で、ヨーロッパには肉や魚をおかずにしてパンを食べるという考え方がなく、主食と副食の区別がありません。日本では仏教伝来以後、殺生戒の教えや、天武天皇(不詳-686)が675年に牛・馬・犬・猿・鶏を食べることを禁じた肉食禁止令を出したこともあって肉食はタブーとなりました。しかし、この禁令は農耕用の家畜を守るためでもあったと考えられています。その後、周囲を海に囲まれた日本は、魚が主な動物性タンパク源となり、米を主食、魚や野菜を副食とする食事パターンが成立しました。肉を積極的に食べるようになったのは、明治天皇(1852-1912)が、自ら牛肉を食べて肉食を解禁したと報じられた1872年以降のことです。
世界には、米だけでなく、トウモロコシ、ジャガイモ、キャッサバなど、多様な穀物や芋類を主食とする国々があり、それらを調理する道具も食器も実に様々です。日本は主に箸を使いますが、世界ではスプーン、フォーク、手とそれぞれ便利と思う道具で食べ物を口に運びます。日本だけではなく、世界の食文化の道具も見くらべてください。

 

展示風景1

展示風景1

展示風景2

展示風景2

2.「ととのえます」の道具 ―身だしなみと文化―

食と気候が強く関係するように、身につけるものや住居も地形や風土に関係します。敗戦後まもなくまで、日本は和服姿が一般的でした。現代のように、店に行けば自分のサイズに合う服を買えるという時代ではありません。呉服店に足を運んだり、行商人が売り歩く反物と呼ばれる細長い布を見て好みの柄を決め、仕立屋さんに作ってもらうか、自分で縫います。着物はたたむのにも場所が必要なので、汚さないように仕立てるのも周囲を整えないといけません。布は現代の私たちが想像する以上に高価なもので、庶民は絹など手が出せず、古着を買って自分でサイズを調整して仕立て直すことも多かったようです。木綿でも大切にして、破れてもつなぎ合わせて布団の表にしたり、切っておむつに使い、最後には雑巾にして使い切りました。裁縫で活躍するのが針箱(裁縫箱)です。洗濯は、たらいを使い、飲み水を汲み上げる井戸よりも、川や溝まで運んで手もみ足もみで洗いました。波状の面がある洗濯板が登場するのは案外最近の大正時代になってからです。アイロンにあたるのが火熨斗で、炭を入れて熱でしわをのばします。古代中国にも朝鮮半島にもほとんど同じかたちのものがあり、用途にあった適切な道具だったことがわかります。明治時代になって洋装になると、現代のアイロンのかたちに似た炭火アイロンが登場します。襟や袖口など細かく仕上げるために外国の製品を真似て先端が鋭角になりました。古代から神聖なものとして伝えられてきた鏡は、江戸時代の泰平な世になっておしゃれを楽しめるようになると、柄鏡(和鏡)として一般に普及します。それは女性の髪型が垂髪から多彩な結髪になって、飾り櫛や簪などで髪を飾るようになったからです。宝飾品を身につける風習が根付かなかった日本では、華やかな着物や帯以外では、髪飾りが女性のあこがれの品でした。枕は、その髪型をくずさないようなかたちになっていて首元にあてます。枕カバーは紙で、汚れたら取り替えます。朝鮮半島の枕も華やかで美しく、中に小物を入れることができたり、細かな刺繍で彩られています。鏡台は、古いかたちは鏡と鏡掛が別々になっていて、必要なときに取り出してセットしました。現代の鏡とちがって使ううちにくもってくるので、定期的に専門の職人に磨いてもらいました。朝鮮半島も台湾も女性の小物入れは華やかで繊細なつくりになっています。

展示風景3

展示風景3

3.「やすらぎます」の道具 ―四季を楽しむ文化―

四季のある日本ですが、住居は貴族の寝殿造のように夏の高温多湿な気候に対応できるように考えてつくられています。そのため、冬の寒さは体にこたえます。庶民は日中は家族総出で赤んぼうも連れて農耕や働きに出かけ、夜なべの仕事もあったので、やすらぐのは寝床に入るときということも多かったのですが、それでも快適な生活を工夫しました。布団も、厚手の着物を前後反対向けに袖を通して横たわる夜着や掻巻のような形状でした。むかしは室内全体よりも手や足を部分的に暖めるしかなく、火鉢や炬燵、湯湯婆を使います。布団の中でけとばしても灰入れが水平に保たれて、灰がこぼれない回転式炬燵など、知恵がつまっています。その後現代でも見ることができる反射板式の電気ストーブも開発されました。
日本が近代化するに従って、それまでの職人の手技が結実した道具から工場製品が登場します。規格化された製品が大量に販売されそれによって価格が下がってみんなの手に入るようになりました。影響として職人の数の減少や技術水準の維持など社会問題が生じますが、一方で手の技に付加価値がともなって希少価値が高まり、洗練された伝統工芸として社会的な評価が上がりました。わたしたちが当然だと思っている便利な生活は、絶え間ない技術革新によって得られたのです。「二十世紀の予言」(『報知新聞』1901)では、東京にいながら欧米都市の知人と話が可能な「無線電信・電話」や、馬車が廃止されて「自動車の世」になることなどが的確に予想されています。数年後にはここに書かれているような「人と獣の会話自在」になって、「仕事の多くが犬の任務」になる世の中が到来するのかもしれません。電話やラジオ、テレビはモデルチェンジを繰り返して進歩を続けています。氷冷蔵庫に始まる冷蔵庫の普及で、食生活のあり方にも変化が生じました。生ものを腐らせずに新鮮な状態で冷凍保存が可能ならば、それまでの乾物や塩漬け食品の需要も変わります。

展示風景4

展示風景4

展示風景5

展示風景5

展示風景6

展示風景6

展示風景7

展示風景7

 


 

参考館セレクションでは当館が収蔵する約30万点の資料の中からセレクトして一部を紹介しています。本展に展示する資料も以下のリンクより詳細をご覧いただけます。資料名をクリックして下さい。

 

▷夜着

▷回転式炬燵

▷湯湯婆と火熨斗

▷行灯

▷デルビル磁石式壁掛電話機

▷鏡掛と柄鏡

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