沿革

 

1925年
(大正14年)
朝鮮(資料参考)館

朝鮮(資料参考)館

天理大学の前身である天理外国語学校第1回入学式において、天理教二代真柱の中山正善は博物館の資料収集を発意する。

1930年
(昭和5年)
天理中学校東控室で、二代真柱の収集した中国の民俗資料の展示が「支那風俗展覧会」として行われた (4月25日~27日)。展示終了の翌日(28日)、展示資料を天理外国語学校の本館(現天理大学1号棟)4階中央の教室に収蔵し「海外事情参考品室」とした。これが天理参考館の始まりである。
1934年
(昭和9年)
「海外事情参考品展覧会」

「海外事情参考品展覧会」昭和10年4月24日~26日

海外事情参考品室を天理外国語学校3階北側の3教室へ移転する。
朝鮮半島の民家を移築した「朝鮮(資料参考)館」が落成する。

1938年
(昭和13年)
海外事情参考品室を東屋敷工作場(現在の天理教おやさとやかた真東棟ないし東右第一棟のあたりにあった)に移転し、「海外事情参考品館」とした。 最初の出版物「満州支那風俗参考品目録」を刊行する。
1943年
(昭和18年)
東屋敷工作所

東屋敷工作所

天理教亜細亜文化研究所の付属施設となる。 
海軍の接収により、天理教館へ移転し、朝鮮(資料参考)館は解体される。

1944年
(昭和19年)
かんす山校舎の展示室

かんす山校舎の展示室

天理教館も海軍の接収となり、資料は天理教教会本部神殿廻廊と天理図書館へ移し、事務所は天理図書館に仮移転となる。

1946年
(昭和21年)
海軍の解体により、東屋敷の建物へ戻る。 
天理図書館に収集保管されていた考古資料、ハワイ・インカ資料が移譲される。
1948年
(昭和23年)
「天理参考館叢書」の刊行が始まる。
1949年
(昭和24年)
天理文化研究所(1946年に天理教亜細亜文化研究所が改称)の付属施設を解かれ、天理教教会本部付属施設となる。
1950年
(昭和25年)
天理大学の付属施設となり、「天理大学附属天理参考館」となる。 
天理大学かんす山校舎の中へ移転する。
常設公開を始める。
1955年
(昭和30年)
おやさとやかた東左第三棟

おやさとやかた東左第三棟

おやさとやかた東左第三棟4・5階に移転し仮設展示を行う。

1956年
(昭和31年)
天理教教祖70年祭を記念し、常設展示として一般公開する。 
文部省より博物館相当施設として指定される。
1962年
(昭和37年)
東京天理教館9階に「天理ギャラリー」が開設される。
1967年
(昭和42年)
「資料案内シリーズ」の刊行が始まる。
1971年
(昭和46年)
布留遺跡の発掘調査風景

布留遺跡の発掘調査風景

布留遺跡発掘調査団が組織され、館員が調査員として出向する。

1976年
(昭和51年)
布留遺跡天理教発掘調査団および天理参考館分室が設置される。
1981年
(昭和56年)
布留遺跡天理教発掘調査団を埋蔵文化財天理教調査団と改称する。
1987年
(昭和62年)
「天理参考館友の会」が発足する。 
列品講座「トーク・サンコーカン」が始まる。
企画展示室が設けられ、第1回企画展(「漢代の黄河文明」)が開かれる。
1988年
(昭和63年)
『天理参考館報』が刊行が始まる。
1997年
(平成9年)
おやさとやかた南右第一棟を建設し、天理参考館をそこに移転することが決定される。 
起工式が行われる。
2000年
(平成12年)
おやさとやかた南右第一棟建築工事完了。
2001年
(平成13年)
おやさとやかた南右第一棟

おやさとやかた南右第一棟

おやさとやかた南右第一棟に移転、開館する。

 

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