特別展・企画展

共同展「天理 山の辺の古墳」


天理市の山の辺の道周辺には、天皇陵とされる大型前方後円墳をはじめ多くの古墳があります。
いくつかの古墳では発掘調査が行われて、古代史研究に欠かせない重要な資料が出土していますが、天理参考館や奈良県立橿原考古学研究所、天理市教育委員会などに分かれて収蔵されており、また多くの資料は通常公開されていません。
本展では普段離ればなれになっている天理市内の古墳出土品を厳選して一堂に会します。天理が誇る古墳文化をご覧ください。

 

黒塚古墳出土三角縁神獣鏡(重要文化財)[奈良県立橿原考古学研究所提供]

◆会期:2021年2月6日(土)~3月15日(月)
◆会場:3階企画展示室1・2
◆主催:天理大学附属天理参考館・奈良県立橿原考古学研究所附属博物館・天理市教育委員会
◆後援:天理市・天理市観光協会・歴史街道推進協議会
◆協力:天理大学文学部歴史文化学科・埋蔵文化財天理教調査団

 

共同展リーフレット(表紙)

出品リスト

共同展リーフレット1(外面) (ファイルサイズ1.39MB)

共同展リーフレット2(内面) (ファイルサイズ1.11MB)

 

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関連イベント

記念講演会
「大和古墳群の古墳と埴輪」

 日時:2021年2月27日(土)  午後1時30分から2時30分
 講師:東影 悠(奈良県立橿原考古学研究所 主任研究員)
 会場:天理参考館
 定員:40名 ※定員に達しましたので申込みを締め切りました。
「3次元測量で浮かび上がる古墳の姿」
 日時:2021年3月13日(土)  午後1時30分から2時30分
 講師:石田大輔(天理市教育委員会文化財課 係長)
 会場:天理参考館
 定員:40名 ※定員に達しましたので申込みを締め切りました。

 

 

ブログ 布留川のほとりから

・共同展「天理 山の辺の古墳」開催中! 2021.2.26【共同展「天理 山の辺の古墳」ブログ1】

 

展示詳細

天理市東部では、最古の道として知られている「山の辺の道」に沿って国内有数の大型前方後円墳が連なり、美しい大和の景色の一部になっています。そして古墳から出土した品々は、天理の古墳文化のみならずヤマト王権の様相をものがたっています。
それらの貴重な出土品は複数の機関に分かれて所蔵されており、まとめて目にできる機会はこれまでありませんでした。
このたび奈良県立橿原考古学研究所附属博物館・天理市教育委員会・天理大学附属天理参考館などが共同で、展覧会を開催することとなりました。
展示品の多くは通常は公開されておらず、また発掘調査で出土して以来、初めての里帰りとなる出土品も多数あります。今回の里帰りのために、新たに修復を施したものもあります。
天理の古墳文化をものがたる品々が一堂に会するこの機会を、どうぞお楽しみください。

 

南部の古墳

天理市南部の古墳 大和・柳本古墳群

南部は桜井市との境に接しており、現在の佐保之庄町から渋谷町にかけての地域になります。渋谷町のすぐ南の桜井市域には、古墳時代初頭の初期ヤマト王権の王都とも考えられる纒向遺跡が所在しています。纒向遺跡内には最初期の大王墓と想定される前方後円墳である箸墓古墳(長さ約280m)が位置し、その後、大王墓と想定される前方後円墳は西殿塚古墳(長さ約230m)、行燈山古墳(長さ約242m)、渋谷向山古墳(長さ約300m)と継続して天理市南部につくられました。これらは、西殿塚古墳を中心とする大和古墳群と行燈山古墳・渋谷向山古墳を中心とする柳本古墳群に分かれます。
ともに古墳時代前期を中心とするさまざまな大きさの前方後円墳を中心に構成されていますが、大和古墳群は前方後方墳が6基あること、古墳時代後期の大型前方後円墳である西山塚古墳(長さ約114m)があることが特徴的です。各古墳から出土した埴輪や副葬品は、初期ヤマト王権の成立過程を考える上で重要な資料といえます。

 

中部の古墳

天理市中部の古墳 杣之内古墳群、石上・豊田古墳群、別所古墳群

大和高原から盆地内に流れ出る布留川の形成した扇状地に広がる布留遺跡は、古墳時代中期から後期を中心に首長の館や大型倉庫、工房、大規模な水路などがつくられた巨大な集落遺跡です。そして、布留遺跡の南側の段丘上には杣之内古墳群、北側の丘陵上には大群集墳として知られる石上・豊田古墳群や別所古墳群が立地しています。
杣之内古墳群では日本列島最大の前方後方墳である西山古墳のほか、大型前方後円墳である西乗鞍古墳、巨石積み横穴式石室を持つ塚穴山古墳など80基以上の古墳が知られています。また、石上・豊田古墳群と別所古墳群には、大型前方後円墳である石上大塚古墳・ウワナリ塚古墳・別所大塚古墳のほか、大小およそ200基を数える多数の古墳が確認され、多くの発掘調査成果があがっています。
布留遺跡は6世紀代の政治の実権を握った古代豪族の物部氏の拠点とされ、周辺の古墳群もその墓域としての性格が指摘されています。

 

北部の古墳

天理市北部の古墳 東大寺山古墳群

北部は奈良市との境に接しており、古墳時代には古代豪族のワニ氏の本拠地が想定されています。現在の和爾町から櫟本町にかけての地域になります。周辺は交通の要衝に位置しており、南北交通路は「山の辺の道」の前身が該当すると思われ、王権中枢が存在した奈良盆地東南部と木津川流域を結んでいたと考えられます。一方の東西交通路は、河内から暗峠を越えてきた道が菩提仙川に沿って東へ行くと、田原―大柳生―笠置と抜け、木津川流域に至ります。
なお、菩提仙川と楢川にはさまれた北側の丘陵(和爾町)には古墳時代の集落が展開しており、そこには古墳時代前期後半の円墳である上殿古墳が築かれます。小規模な古墳ですが、方形板革綴短甲や鉄製柄付手斧などの豊富な鉄器が出土し、注目されます。一方、楢川と高瀬川にはさまれた南側の丘陵(櫟本町)には前期後半から中期にかけての大型古墳が数基つくられます。東大寺山古墳、赤土山古墳、和爾下神社古墳と継続して前方後円墳がつくられ、ワニ氏の奥津城にふさわしい状況が展開します。ワニ氏はこの地を足がかりにしてヤマト王権に隠然たる影響力を行使したのでしょう。

 

低地の古墳

天理市内の古墳・遺跡は、その多くが山の辺の道沿いに集中していますが、奈良盆地中央寄りの低地部にも点在することが知られています。近年の開発の進展により、未知の古墳や遺跡が発見されることも増えています。

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