ブログ布留川のほとりから

義経はヒーロー ―鎌倉殿の時代の華麗な大鎧(おおよろい)―

2022年04月19日 (火)

今年のスポット展示「五月人形」の主役は義経です。

 

この五月人形は、源平時代から室町時代にかけての最も華麗な武士の姿、騎馬武者用の「大鎧」をうつしています。現在の五月人形飾りの甲冑の多くは「具足」で、戦国時代以降の集団戦や鉄砲伝来に伴う戦法の変化から生まれた甲冑です。「大鎧」に比べて華麗さには劣りますが、より実用的になりました。

 

この武者は正面を見据える厳しい視線と風格から、ひとかどの人物と思われますが、人形を収納する箱に「義経」と箱書きがあります。初節句を迎える男児のため、特に「義経」と人形屋に注文して誂えたのでしょう。南北朝時代頃に成立した軍記物語『義経記(ぎけいき)』以来、義経の人気は高く、江戸時代でも三大義太夫狂言の一つ『義経千本桜』が大人気でした。

 

龍が咆哮する飾りと、まっすぐに伸びた鍬形が壮麗な兜ですが、実際の陣中では萎(なえ)烏帽子(えぼし)(柔らかい烏帽子)姿でした。兜は家来に持たせて、いざ敵前に臨んではじめて兜をつけたようです。籠手は元来弓手(ゆんで)(=左手、弓を持つ手)だけにはめ、馬手(めて)(=右手、馬の手綱をとる手)は弓を射るために邪魔にならないよう直垂(ひたたれ)の袖をくくるだけでした。しかし刀剣での接近戦が主流になる南北朝時代以降は、手を保護するために両手にはめるようになりました。両手用としては最古とされる籠手が奈良の興福寺に伝わっており(現在は春日大社蔵)、「義経籠手」と呼ばれています。義経が追われる際に興福寺に献じたと伝わり、ここにも義経の名が残っています。

 

悲しい最期を迎えますが、武勇と知略に優れた人物像は人々の憧れでした。このように華麗な大鎧姿で獅子奮迅の働きをしたのでしょう。

 

スポット展示「五月人形―義経登場!―」の解説を、5月4日(水)と7日(土)の午後1時30分から学芸員が行います。ぜひお越しください。

五月人形 義経  大正14年 天理市 全高43.0cm

日本民俗室 H 

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