ブログ布留川のほとりから

シルクロードと中国の玉文化

2020年11月05日 (木)

中国の甘粛省敦煌(とんこう)市の近傍に、玉門関(ぎょくもんかん)という関所遺跡が遺されています。玉門関は万里の長城の西端に位置する重要な関所で、シルクロードの防衛上の要所として前漢の武帝の時代に建設されました。その後も中国西方の要所として重視され、シルクロー交易が活発であった唐時代に再び建設されました。現在残されているのは、この唐時代の玉門関です(写真は、2009年に当館学芸員が撮影した玉門関遺跡)。かの有名な玄奘三蔵がインドへ求法の旅に出立した際、この門をくぐって西域に向かったことでも知られています。

玉門関は、ホータンを初めとする西域諸国からシルクロードを通じて玉石を輸入する際に、この地が中継地となったことから「玉門」の名がつけられたともいわれています。ここでいう玉石とは一体どのようなものでしょうか。

中国では古代から、「玉(ぎょく)」と総称される研磨すると美しい光沢を示す石材が非常に愛好されてきました。特に好まれたのは、ホータン(新疆ウイグル自治区和田)で産出される美しいネフライト(軟玉)で、中でも白玉(白色ネフライト)が珍重されていました。ネフライトという岩石は、宝石のヒスイ(翡翠)の一種としても知られていますが、実はヒスイと呼ばれる岩石には2種類あります。一つはヒスイ輝石(ジェダイト)、もう一つがこのネフライトです。これらはよく似ていますが異なった岩石で、硬さが違うことから、前者が硬玉、後者は軟玉と呼ばれることもあります。現在、一般に宝石の一種として珍重されるのはヒスイ輝石の方ですが、古代中国で特に珍重されたのは後者のネフライトでした。なぜなら、古代中国ではヒスイ輝石は産出しなかったからです。実はネフライトも、古代中国の領域内ではほとんど産出しませんが、シルクロードのオアシス都市であったホータンでは膨大な量の優れたネフライトが産出しました。古代中国は、シルクロードを通してこれらを輸入し、独特の玉文化を形作っていったのです。

写真で示したのは、創立90周年特別展「大航海時代へ―マルコ・ポーロが開いた世界―」に出品中のホータン産と考えられる良質の白玉(白色ネフライト)を用いた帯飾り(唐時代8世紀)です。唐の時代は、玉文化の花開いた黄金時代の一つでした。特に用具や装飾品として玉石が非常に愛好されていました。朝廷に仕える官人は位階によって帯飾りの材質が規定されていましたが、このような玉材は三品以上の高級官僚が用いるものであったことが知られています。この時代に玉という材質がいかに重要視されていたかをうかがい知ることができます。

すでに紹介したように、中国の玉文化を供給地として支えたのは、タクラマカン砂漠の南、崑崙山脈の北麓に位置するホータンでした。このため、中国の玉文化はシルクロード交易の盛衰と密接に関連していました。中国の玉文化の黄金時代が漢時代と唐時代であるのは、まさにこれらの時代にシルクロード交易が盛んであったためでもあるのです。シルクロードは、「玉の道」でもあったのです。

 

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