ブログ布留川のほとりから

蹴鞠 その2

2020年06月19日 (金)

中国の唐の時代には騎馬による打毬が盛んで、歴代の皇帝が好んだことがよく知られています。女子もプレーを楽しみました。俑にその姿が残っています。
日本でも毬杖(ぎっちょう)や、打毬はありますが、広く普及したのは馬に騎乗せず、足で鞠を蹴るパスゲーム形式の蹴鞠です。

 

それはなぜか。

 

奈良時代、平安時代と貴族社会が続き、文化、遊びの担い手は公家でした。公家は騎馬を好まず、移動には牛車を用います。
蹴鞠の鞠は鹿革製の革風船のような柔らかいボールなので、万一当たってもケガをすることはありません。天皇や上皇も蹴鞠を楽しむようになったので、打毬で使うような木の切り出し球が身体に当たったら大変です。

 

スポーツは、伝播するなかでその地域の文化、風俗によって変容します。蹴鞠は日本の貴族文化のなかで優美な遊びになりました。
後に武士も蹴鞠を愛好しますが、訓練としてではなく貴族社会への憧れ、素養として身につけました。

 

続く

 

打毬婦人俑(だきゅうふじんよう)
中国 唐8世紀
創立90周年特別展「スポーツの歴史と文化」にて展示中

日本民俗室 H 

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