ブログ布留川のほとりから

苦労人

2015年03月26日 (木)

20150326_01シュリーマンの話に戻ります。9才になって、不幸な出来事が重なり、長年暮らした村を去ることになりました。その後、十分な教育を受けられないまま、14才で小さな町の雑貨店で働きます。重労働に体が根を上げたのでしょう、喀血を繰り返しました。19才の時に思い切って新世界アメリカへ渡ろうとしましたが、ハンブルクから乗船したベネズエラに向かう船はオランダ沿岸で難破してしまいます。そうなのです、あのシュリーマン、実はまったくついてない人間でした。全財産を使い果たし、アムステルダムで留まることになります。

ただ、様々な苦境に置かれても、前向きな姿勢は崩しません。英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語など約20ヶ国語を独自の勉強法で習得していきます。また、たぐいまれな商才にも恵まれ、22才の時、貿易の職に就きました。その後商人として活躍し、富を築いて行ったのです。

見事なサクセス・ストーリーです。普通ならこれで終わるところですが、シュリーマンはそうではありませんでした。第二の人生を選びます。

【シュリーマン展ブログ06】

考古美術室 T 

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