ブログ布留川のほとりから

鏡の文様

2018年02月16日 (金)

開催中の2018年新春展「はれの日の装い 装身具の歴史」では、古墳時代から江戸時代の長期にわたる青銅鏡を展示しています。今ではあたりまえのガラス製の鏡は、明治時代以降に使われるようになったものであり、それまで1000年以上もの間、日本では青銅製の鏡を使っていました。
青銅鏡は、ものを映す面を鏡面、反対側の面を背面とよびます。背面には文様が描かれましたが、その文様は時代とともに変わっていきました。古墳時代の鏡には中国の神々や霊獣が描かれたことは、有名な三角縁神獣鏡でおなじみのことと思います。当時の鏡はいまのような姿見(すがたみ)ではなく、宝器や祭具でした。

平安時代以降、鏡は姿見として生活に溶け込んでいきます。それにつれて、背面には日本人好みの文様が描かれるようになり、平安時代の鏡には花と鳥が描かれました。そして鎌倉時代以降は、とにかくおめでたい文様、吉祥文(きっしょうもん)が好まれたのです。中世には松竹梅や鶴亀、仙人が住むという蓬莱島(ほうらいとう)が代表的な吉祥文でした。下の写真(左)は室町時代の鏡です。中央の鈕(ちゅう)が亀の形でその上を二羽の鶴が舞い、下には松と竹が描かれています。

 

室町時代の鏡

江戸時代の鏡

 

江戸時代になると「ひとひねりした」吉祥文が好まれました。鯉の滝登り、末広がりの扇、「難を転ずる」と同音の「南天(なんてん)」、富士山などです。上の写真(右)の鏡は江戸の鏡の真骨頂とも言える文様で、吉祥づくしと呼ばれます。ひとつずつ見てみましょう。

中央には大きく「福寿」と書いてあります。福の左右には鶴が舞っています。右の鶴の下は打ち出の小槌、その左下の袋はお金を入れた袋、袋の上下にある円い小さな文様は意のままに願いが叶うことを表す宝珠です。袋の左下は昔の鍵で、宝の扉を開ける意味があります。鍵の左には、金の重さを量るところから富の象徴である分銅が2個並んでいます。寿の真下は香辛料の丁字(ちょうじ)で、貴重品を表します。左を見てみましょう。鶴の下には簑(みの)と笠(かさ)が上下に並んでいます。隠れ蓑と隠れ笠として、危険から身を守る意味があります。隠れ笠の下にも分銅があり、その右下の円形の文様は、円満をつなぐ象徴である輪違いという文様です。
おめでたい文様ばかり、吉祥づくしです。平安時代から江戸時代までの長期間にわたって、これほどまでに思いを込めた道具であった鏡が、いまでは意識すらしない生活用具になっているのは、便利ですが少し寂しい気もします。

 
会期はあと2週間あまりとなりました。2月24日(土)にはトーク・サンコーカン(公開講演会)と展示解説を行いますので、どうぞお越しください。

 

【2018年新春展ブログ7】

考古美術室 F 

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