天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化縮緬地月に月見草模様友禅染訪問着(ちりめんじ つきにつきみそうもよう ゆうぜんぞめ ほうもんぎ)

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重要無形文化財保持者 三代 田畑 喜八(たばた きはち)
京都 1955/昭和30年 身丈160cm
資料番号:68.2537

展示中 1-0

明治時代の引札(ひきふだ:商店広告のちらし)に「呉服・太物」(ごふく・ふともの)と書いてあるのを目にすることがあります。「呉服」とは広義には織物の総称で、狭義には絹織物のことを指すのはよく知られているところです。現代生活にあっても馴染みのある言葉でしょう。しかしその反面、呉服の着物つまり、和服を日常的に召される方は少ないのではないでしょうか。日本文化の象徴とも言える和服ですが、今日では、成人式や結婚式、会食、茶会、夏祭りなどの冠婚葬祭に着るものというイメージが大きいように思います。普段に着る機会はなかなか無いというのが実情です。
では、「太物」とは何のことでしょう。食品ではありません。絹織物に対して、麻や木綿の織物のことを指します。こちらに至っては、ほとんど見聞きしない言葉となっています。木綿は、糸も太く布地も厚めであることから、絹織物に比べて太い― ということからきているといわれます。
先述の広告の商店が「呉服」と「太物」を扱っているということは、晴れ(ハレ)の場や普段の時、生活の様々なシーンで使われる織物、引いては着物全般を幅広く取り揃えているということを意味します。「呉服太物」のフレーズは商店の自負を感じさせる表現でもあり、各地域の商業活動を牽引する立場の存在感ある店が「呉服太物」商であった例は多いでしょう。中には現在の百貨店にまで経営規模を拡大した店もあります。着物と日々の暮らしの関係の変遷を知る上で、「呉服太物」はひとつのキーワードでもあるといえるでしょう。
掲出の絹織の着物は縮緬地(ちりめんじ)の友禅染(ゆうぜんぞめ)の「訪問着」です。外出着である「訪問着」は、正装である黒留袖(くろとめそで)や色留袖(いろとめそで)に次ぐ、準正装の格式ある着物とされ、呉服店の先導で明治末から大正はじめに考案されました。比較的歴史の若い着物です。
この着物には金繍の三日月の光に包まれた薄墨色の蕩然(とうぜん)とした空間に、そよと靡(なび)く影絵のような草と、白い花を幽艶に見せる月見草が友禅染で浮かび上がっています。作者の三代 田畑喜八(1877/明治10~1956/昭和31)は京都の京友禅の名家 田畑家に生まれました。1892/明治25年から2年間、日本画家 幸野楳嶺(こうのばいれい:1844/弘化元~1895/明治28)のもと京都府画学校に学び、のちの写実風友禅の大成の礎がこの時になされたといわれています。1899/明治32年に三代目の田畑喜八を襲名しました。戦後は家督を四代に譲り、友禅染の研究に専念します。最晩年の1955/昭和30年5月に「友禅」の重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されました、この訪問着はこの頃の傑作のひとつと言われています。