天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化蹴鞠の鞠(けまりのまり)

京都 江戸時代末期
径17.0cm
資料番号:66.2578

展示中 1-0

球技は古来世界各地で行われてきました。なかでも、ボールを足で操作するフットボールは広く分布し、足よりはるかに器用な手の使用を禁じるサッカーが、今日世界最高の人気スポーツであるのは興味深いことです。不器用な足をボール操作の主な手段に設定し、手以上に自在に使う選手のプレーは、確かに観客を魅了します。
球技の主役はボールです。スポーツ人類学者の寒川恒夫氏は、人類が作ったボールを、製作方法によって、巻き球、ふくらませ球、編み球、詰め球、鋳型球、切り出し球の6系統に分類しています。今回紹介する蹴鞠の鞠はふくらませ球に属し、中空で革風船のような、たいへん脆弱な構造です。
蹴鞠はおよそ1400年前に中国から日本に伝わったと考えられています。中国では紀元前300年春秋時代の斉で、軍事訓練としてフットボールが行われていたことが『史記』に記されています。日本での初出は『日本書紀』皇極天皇3年正月朔日で、飛鳥の法興寺における蹴鞠の会で、鞠を蹴って脱げた中大兄皇子(天智天皇)の沓を中臣鎌子(藤原鎌足)が拾ったことが契機となって二人が通じ合い、大化の改新へと進んだという著名な逸話です。当時の詳細なプレーは伝わっておらず、打毬のようなものだった可能性もあります。ともあれ、蹴鞠はその後貴族社会に浸透する過程で、軍事訓練とは対極の優美な様式に変容していきます。8人が鞠を地面に落とさないように右足のみを使って蹴り渡す、勝敗のない遊びとなりました。
蹴鞠の鞠は、2枚の円形の鹿革に帯状の馬皮を通して袋状に縫い合わせて作ります。大麦を詰め込んで球状にふくらませて整形した後、膠でコーティングし、卵白を塗布してツヤを出します。表皮が固まったところで大麦を少しずつ抜き取り、中空にして完成させます。外周は60cm前後で重さは100g程度しかありません。因みにサッカーボールは外周70cm前後で重さは410gから450gなので、蹴鞠の鞠はその4分の1の軽さです。そのため強いキックや激しい争奪を伴うゲームには耐えられません。しかし空気の出入りは縫うことで遮断しており、表面の膠が弾力を加えているので、蹴ると5mぐらいは上がり、さらに上手い人が思い切り蹴ると10mも上昇したようです。上出来な鞠に、蹴鞠好きだった後鳥羽上皇は位を授けています。
明治維新まで蹴鞠は盛んで、庶民にまで広がりました。井原西鶴は『日本永代蔵』のなかで美食や博打とならんで鞠を禁じています。熱狂的な愛好家も出て身代をつぶしたことから、馬と鹿の革で作る鞠を称して「馬鹿」の語源となったとも言われています。