天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の考古美術打毬婦人俑(だきゅうふじんよう)

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中国 唐 8世紀
高さ33.9cm 加彩陶器
資料番号:中1156

展示中 3-16

俑とは墓に副葬するためにつくられた人形のことで、本例は疾走する馬に乗る、膝までの短襦(たんじゅ)をまとった女性が表現されています。
馬の面繋(おもがい)や胸繋(むながい)、尻繋(しりがい)などの革紐は黒で描かれていて、鞍の下の泥よけの障泥(あおり)は輪郭を朱で描き、内側には縦方向の平行する文様が黒で描かれています。あるいはこれは虎皮を表現しているのかもしれません。尻尾は紐で結わえられ朱で彩色されたおしゃれな馬です。
この馬にまたがる女性は、おそらく、左手で手綱を握って馬を御していたのでしょう。右手には何かを握っていたようですが、いまは失われて見られません。
実はこの俑は打毬(ポロ)をしているところを表現したものと考えられていて、右手には球を打つためのスティックを持っていたものとみられます。ポロと言えば多くの人はイギリス紳士のスポーツを連想されることでしょう。これは騎手が木槌状のスティックで球を打って相手のゴールに入れる競技ですが、元は古代ペルシアの国技でした。これが、東漸(とうぜん)して中国に入り、唐代には日本にも伝わりました。
唐の国では打毬は単なるスポーツとしてだけではなく、騎馬戦に際しての乗馬技術の向上を目指して盛んに行われたようで、皇帝の宮殿にもその競技場が附設されました。また、高祖乾陵の陪葬(ばいそう)墓である李邕(りよう)墓や章懐太子(しょうかいたいし)墓の壁画にも、打毬の様子が描かれていて、その重要性が伺えます。
本例のような打毬をする婦人俑は、他にいくつも知られていて、高貴な婦人たちにも人気の競技であったようです。