ブログ布留川のほとりから

お洒落の発信地は「上方」(2) ~ おしゃれ話その5

2022年02月08日 (火)

前回の続き。日本史の教科書では、よく「上方の元禄文化、江戸の化政文化」と書かれます。享保(1716-1736)以降、文化の主導権が、上方から江戸へ次第に移行することを示す言葉です。しかし髪飾りなどお洒落用品に関しては、まだまだ上方の影響力は絶大でした。
現在開催中の第88回企画展で紹介する笄(こうがい)を、今まであまり目にされたことがないかもしれません。簪(かんざし)はイメージがつきやすいでしょうか。簪は足が二股に分かれた二本足ですが、当初は一本足で、笄と同じかたちでした。それが享保頃、京の北野天満宮の門前の商人が、「笄に耳掻きを付けて売れば流行る」というアドバイスを受けて売り出したところ、爆発的にヒットしたそうです。簪の頭の部分が耳掻きのかたちに見えるのは、その通り耳掻きの役割が元々あるのです。以来、笄の片側に耳掻きを付け、反対側は髪を搔くよう二股に分かれたものが簪と呼ばれるようになりました。「耳掻き付き」簪の発祥は上方です。


 

第88回企画展ブログ6】

日本民俗室 H 

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