ブログ布留川のほとりから

モンゴル帝国の駅伝制「ジャムチ」

2020年11月12日 (木)

中国やオリエントをはじめとする広域を支配した諸王朝では、中央集権国家が広大な版図を効率よく統治する手段として駅伝制(えきでんせい)と呼ばれる交通・通信の仕組みが利用されてきました。駅伝制とは、一定の距離ごとに駅(站)と呼ばれる宿泊所、人や馬、車などを常時備えた施設を設置し、効率的に駅を伝って往来する交通・通信制度のことです。現在もそうであるように、国家を統治する上で効率的な交通・情報伝達手段の構築は非常に重要な仕組みであったのです。スポーツの「駅伝競走」の名称は、この駅伝制が由来となっています。

駅伝制を特に有効活用したことで知られるのは、人類史上最大級の版図を誇ったモンゴル帝国です。その広大な領域を管理・維持するために駅伝制の充実が図られました。これがジャムチ(站赤)と呼ばれる駅伝制です。ジャムチは、モンゴル語で「道」を表す「ジャム」という言葉と「人」を表す「チ」という言葉が合わさったもので、「道に携わる人」すなわち駅伝制を示す言葉です。

ジャムチは、モンゴル帝国第2代ハーンであるオゴデイの治世に制度として整えられますが、日本海沿岸からカスピ海に至る非常に広大な支配域を形成したチンギス・ハンの時代においても、すでに駅伝制が積極的に活用されていたことが知られています。モンゴル帝国におけるジャムチの整備は、世界規模で東西交流を活発化させる大きな要因となりました。

写真の「成吉思皇帝聖旨牌子」と呼ばれる資料は、創立90周年特別展「大航海時代へマルコ・ポーロが開いた世界に出品中のモンゴル帝国時代初期にジャムチで用いられた通行証・資格証であった牌子(パイザ)です。この資料で特に注目されるのは、表面に「天賜成吉思皇帝聖旨疾」の10字が刻まれていることでしょう(裏面には2字の契丹文字が刻まれている)。「成吉思皇帝(ちんぎすこうてい)」という言葉は、チンギス・ハン(成吉思汗)の中国側における呼び名の一つとして知られています。この表面に刻まれたこの10字については、チンギス・ハン在世期にモンゴル帝国に訪れた南宋の使者が記した『蒙韃備録』の中に同文が登場します。その中で紹介されている素金牌や素銀牌と呼ばれる牌子に、この10字が刻まれていると記されています。おそらく本資料はこの素金牌に該当すると考えられます。モンゴル帝国の皇帝から与えられたこれらの牌子を携帯するものには様々な特権が与えられ、帝国内の至る所に存在した駅に常備された宿舎や馬などが自由に利用可能で、長距離を円滑に移動することができたようです。

実は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』には、マルコの父ニコロと叔父マッフェオがフビライ・ハーンからローマ教皇宛ての勅書をあずかる際に黄金牌子を与えられていることが記されています。この権威の象徴とされた黄金牌子を携帯していれば、広大な帝国領域内のどこへ行っても、駅において必要な宿舎と乗馬が提供され、求めれば護衛兵まで与えられたという内容が紹介されています。また、マルコ・ポーロが帰国時にイルハン国(フレグ・ウルス)を訪れた際、キアカト・ハン(イルハン国第五代ハンのガイハトゥ)から黄金牌子4枚が与えられたとも記載され、やはり同様に領域内において自由に乗馬、食料、護衛兵が提供されたことが記されています。『東方見聞録』でマルコ・ポーロは駅伝制の素晴らしさと有用性についてかなり詳しく紹介しており、実際にジャムチを利用して広大なユーラシア大陸を快適に移動したであろうマルコ達が感じた驚きと感動をうかがい知ることができます。

 

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