天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化片道乗車券(天理軽便鉄道)(かたみちじょうしゃけん(てんりけいべんてつどう))

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地域:日本 奈良
1916年(大正5)12月3日 縦2.9cm 横5.7cm
資料番号:

展示中 1-0

これは天理軽便(けいべん)鉄道が発行した天理駅より二階堂駅行きの硬券キップ(厚紙のキップ)です。天理軽便鉄道は天理教信者の輸送等を目的に、国鉄の法隆寺駅(天理軽便新法隆寺駅)から天理駅まで約9kmの路線を、大正4(1915)年2月7日に開業しました。「天理」の名が付けられた駅名は、これが最初となります。レール幅はわずか762ミリで、ドイツ製の小型蒸気機関車が1~2輌の客車を牽引しました。
それまで大阪方面から天理教教会本部に参拝する場合は、国鉄奈良駅を経由して丹波市駅まで乗車するか、途中の法隆寺駅で下車して人力車に乗ったり徒歩で向かっていましたが、比較的安価で早く利用できるということで、同5年の教祖三十年祭には大いに活用されました。
しかし大阪電気軌道(大軌:現近畿日本鉄道)の奈良線が同3年に開業し、更に畝傍線(現橿原線)を敷設する計画が認可されたため天理軽便は単独での営業を断念し、同10年大軌に買収されることとなりました。翌11年には平端天理間(天理線)が1435mmに改軌・電化されて、当時の最新鋭電車が走りました。
一方、大軌法隆寺平端間(法隆寺線)は当初のレール幅のまま残され、昭和3(1928)年には、合理化でガソリンカーの運行を開始。戦時中には不要不急路線として営業が休止され、そのまま復活することなく昭和27(1952)年に廃線となってしまいました。大軌が法隆寺線を改軌しなかったのは、参拝客に国鉄線ではなく、自社線(奈良線)をより多く利用してもらうための営業方針であったようです。