天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の生活文化鉄道売買仮契約書(てつどうばいばいかりけいやくしょ)

地域:日本
1903(明治36)年10月28日
縦27.6cm
発行:南海鉄道・紀和鉄道
資料番号:

展示中 1-0

明治31年に五條~橋本間を開業した紀和鉄道(紀和)は、先に高田~二見間の運行を行っていた南和鉄道(南和)に接続・合併することを前提に建設されました。しかし沿線が農村地帯であったため営業は振るわず、南和との合併には至りませんでした。そして明治36年7月に起こった河川氾濫による被害で、多額の復旧工事費が必要となり、単独での会社存続は難しくなってしまいました。
一方南海鉄道(南海)は、同年に紀和の和歌山駅との間に連絡線を敷設して、難波~高野口間の急行列車運行を開始しました。また同年3月から天王寺公園にて開催された第5回内国勧業博覧会の影響もあって営業収入は良好でした。
紀和は直通運転を行っていた南海に会社売却の話を持ち込み、南海側は今後の路線拡張や発展のために自社への合併が望ましいと判断して、同年10月に仮契約を締結しました。本資料はその際に交わされたものです。
買収仮契約を受け、両社では株主総会において買収が議題とされ、紀和では了承されたものの、南海では株主の一部が買収条件に問題があるとして紛糾し、後日、仮契約の内容を一部修正し、譲渡金として支払う社債900,000円の年利を6%から5.5%に下げるという結論に達して、紀和側に条件を通告しました。
南海側の対応に反発した紀和は、当初の条件で大手私鉄の関西鉄道(関西)に買収の話を持ち込みました。関西は紀和と直接路線を接続していませんでしたが、今後の規模拡大を念頭に紀和の申し出を受け入れ買収に同意したのです。
その後、日露戦争を経て鉄道国有の気運が高まり、明治39年に成立した鉄道国有法のもと、関西など主要私鉄17社(南海や東武鉄道を除く)は買収されてしまいました。当時の私鉄の中で6番目の営業収入を得ていた南海が国有化されなかったこと自体異例なことですが、もし紀和を買収していれば、紀和から南和へとつながるネットワークとして、南海も国有化された可能性が高くなっていたと考えられます。南海は高野山参詣客の需要を見込み、紀和との直通運転を開始しましたが、紀和の買収不調及び主要私鉄の国有化が、後の南海高野線の完成にも大きく影響を与えたと言えるでしょう。