天理参考館
TENRI SANKOKAN MUSEUM

参考館セレクション

世界の考古美術銅甑と銅鍑(どうそうとどうふく)



楽浪墓(平壌特別市楽浪区域)
楽浪・帯方郡時代(紀元前2世紀~紀元後4世紀)
高37.0cm  青銅
資料番号:銅甑(中37)・銅鍑(中36)

展示中 3-15

これは青銅製の蒸し器です。下はソロバン玉のような形をした銅鍑(どうふく)と呼ばれるもので、この上に甑(こしき)を置いて、カマドに掛けました。甑の底には丸い底面を4区画に分けて、それぞれ交互に直行するように5~6個の長方形の蒸気孔が開けられています。下の鍑に入れた水が熱せられて沸騰し、蒸気がこの孔を上って中に入れられた穀物などが調理されました。
当館2階の庶民のくらし―日本―のコーナーには、半世紀以上前にはよく見られたカマドの実物が展示されていて、2つの羽釜が掛けられています。電気釜やガス釜が普及する以前にはこうした薪で煮炊するカマドが利用されていました。実はカマドの歴史は古く、わが国では朝鮮半島から5世紀にもたらされています。この時期にはカマドに掛ける土師器や須恵器の甕や甑も使われていました。
写真は楽浪墓(らくろうぼ)から出土したものです。楽浪郡は前漢の武帝が前108年に朝鮮半島の支配の拠点として設置した郡で、後313年に高句麗に滅ぼされるまで続きました。ここからは多くの漢の文物が出土しています。本例の甑も漢代に通有の形式のもので、中国で製作されたと推測されています。一方、鍑は類例が少なく粗造であることから、朝鮮半島で製作され、この甑と組み合わされて墓に副葬された可能性が指摘されています。これらは、日本に伝わる以前の蒸し器の姿を教えてくれています。