【重要美術品】
弥生時代の青銅器といえばすぐに銅鐸を思い浮かべますが、その銅鐸の起源は中国の銅鈴と考えられています。日本の銅鐸は初期のものでも高さが20㎝ほどあり、鈕(銅鐸を吊すための把手)で吊り下げ、舌(身の内側に吊した振り子)を振って音を発する楽器で、まつりのための道具といわれています。
掲出の銅鐸は外縁付鈕式と呼ばれるもので、鈕から身の側縁にかけて、鰭状の部分が付きます。身には、斜格子文を充填した横帯を1条めぐらせて、その上下に流水文を施しています。下段の流水文の下は鋸歯文横帯と4条の横線で区画します。
この銅鐸には、鋳型が割れたために補修をした痕があり、そこでは文様が段違いになっています。また、鋳造の際に湯まわりが悪く隙間ができたため、鋳掛け(溶かした青銅を欠けた部分に注入して修復する技術)をした部分があります。鋳掛けが文様部分にあたるときは、線刻または浮き彫りで描きます。
同じ鋳型でつくられた銅鐸が、鳥取県越路、香川県一の谷にあります。一の谷銅鐸には鈕の左下の3個の引き手文を描いていません。これは一の谷銅鐸を鋳造した後に、鋳型に文様を描き加えたことを示しています。文様の細部や鋳型のひび割れなどから、3つの銅鐸が作られた順番は、越路鐸→一の谷鐸→吉野川鐸の順と考えられます。