モンゴル帝国初代皇帝チンギス・カンの19代孫となるチェチェン・ハーン・ショロイ(1577-1655年)を始祖とする家系図です。縁が円形に整えられた木綿の布に、数多くの名前がモンゴル文字で記されています。最大径は555cmに及び、世界最大級の家系図と思われます。 ショロイはモンゴル南東部のハルハ部を治めたハーンの一人で、ショロイ以降の後継者はいずれもチェチェン・ハーンを名乗りました。ショロイが歴史の表舞台に出てくるのは1635年のことで、中国の清朝に友好使節を派遣し、朝貢関係を結んだことで知られています。これによりハルハ部は清からの保護を受けながら、1923年までショロイの家系が代々統治を続けることとなります。 家系図の中心にはショロイの名前が記されていて、そこから同心円状に赤い線が世代毎に区切られています。2世代目は11人、3世代目は54人、4世代目は156人と記された名前が増えていき、最後の14世代目に至るまでの総計は11,966人に及びます。かつてモンゴルに存在した一夫多妻制の結果、一人の男性から多くの子どもが生まれ、垂直型の家系図では名前が収まりきらないことから、放射状に枝を広げていく本品のような形式になったのだと思われます。系図上、世代を隔てた名前同士に破線が引かれている場合は親子関係を意味します。 なお、この家系図に記載されている名前は男系男子に限られているため、それ以外の配偶者や女子は省略されています。これはモンゴルの遊牧民社会に、チンギス・カンの男系男子のみが正統な支配者となる権利を持つと考える「チンギス統原理」という思想があり、家系図の作り方にもその影響が及んだものと考えられています。