特別展・企画展

第72回企画展「はにわ大集合!」


 埴輪は古墳の上に並べるために作られた、古墳時代独特の焼きものです。筒形の円筒埴輪と、人物や動物や道具の形の形象埴輪の2種類があり、300年以上にもわたって東北から九州に至る広い地域で作られました。はじめは円筒埴輪だけでしたが、やがて形象埴輪が生みだされました。人物埴輪のなかで女の人は巫女のような姿、男の人は武人が多く、動物埴輪は鶏と馬が大半を占めます。道具の埴輪は貴人の日よけの道具、建物、矢の入れ物、盾などがあります。埴輪に形作られたのは、日頃の暮らしにはあまり関係のない物や、特別な役目を担う人たちでした。形象埴輪は何かの儀式や、古墳に葬られた首長の権威を表すと考えられています。
 そこで、形象埴輪は何かの儀式や、古墳に葬られた首長の権威を表すと考えられています。現在の古墳は、木々に覆われていて古墳か山か区別がつきませんが、千数百年前に古墳が完成した時は木は生えておらず、表面は土や石敷きでした。当時の人たちは古墳の上に累々と並ぶ埴輪を仰ぎ見て、そこに眠る首長の威光を感じたことでしょう。
 今回の企画展では当館蔵品のなかから、円筒埴輪、形象埴輪ともにご覧頂きます。奈良県東大寺山古墳の埴輪や、大阪府仁徳天皇陵(大仙古墳)の埴輪のほか、近畿ではあまり見る機会のない関東地方の形象埴輪も展示します。それぞれの埴輪は、かわいい顔をしていたり大きく立派だったりと個性豊かで、土の人形としても楽しむことができます。
 この機会に埴輪について知っていただくとともに、それぞれの埴輪の個性もお楽しみ頂ければ幸いです。また夏休み中の展覧会ですので、子供さんにも楽しんで頂けるコーナーを設置します。多くの方にお越し頂きたいと願っています。

◆会期:2014(平成26)年7月2日(水)~9月1日(月)
◆会場:当館3階企画展示室1・2
◆後援:奈良県天理市、奈良県教育委員会、天理市教育委員会、NHK奈良放送局、毎日新聞社

こちらからチラシをご覧下さい。

 

ナイス好奇心!(企画展会場にていただいたはにわに関する質問に学芸員がお答えします。

 

関連イベント

予習講座 「はにわ入門 ―企画展はにわ大集合!にむけて―」<全3回>

 <1> 日時:2014(平成26)年6月5日(木) 午後1時30分から 場所:研修室
  <2> 日時:2014(平成26)年6月19日(木) 午後1時30分から 場所:研修室
  <3> 日時:2014(平成26)年7月3日(木) 午後1時30分から 場所:3階企画展示室
  受講料:入館料のみで受講できます
  定員:各回100名(当日先着順)
 ※講座内容は毎回異なる内容になっています。

記念講演会 「はにわ人の世界 西と東」

  日時:2014(平成26)年7月19日(土) 午後1時30分から(約1時間)
  講師:千賀 久氏(葛城市歴史博物館 館長)
  会場:当館研修室
  受講料:入館料のみで受講できます
  定員:100名(当日先着順)

ギャラリートーク(展示解説)

  日時:2014(平成26)年7月25日(金)、8月9日(土)、8月26日(火) 午後1時30分から
  場所:当館3階企画展示室

 

title_movie_theater_2

 


 

出品リスト

No 資料名 出土地ほか

1. 円筒埴輪・朝顔形埴輪 奈良県天理市 布留遺跡
2. 円筒埴輪 奈良県天理市 小半坊塚古墳
3. 円筒埴輪 奈良県天理市 布留遺跡
4. 円筒埴輪・朝顔形埴輪 奈良県天理市 東大寺山古墳
5. 円筒埴輪 奈良県天理市櫟本町
6. 円筒埴輪 奈良県奈良市 不退寺裏山古墳
7. 円筒埴輪 奈良県天理市杣之内町 天理高校校庭
8. 朝顔形埴輪 出土地不詳
9. 円筒埴輪 奈良県天理市 石上・豊田古墳群
10. 埴輪 家 出土地不詳
11. 埴輪 家 兵庫県姫路市 人見塚古墳
12. 埴輪 高い家 出土地不詳
13. 埴輪 家 奈良県北葛城郡河合町 川合大塚山古墳
14. 埴輪 蓋(きぬがさ) 出土地不詳
15. 埴輪 蓋(きぬがさ) 奈良県天理市 豊田山丘陵
16. 埴輪 翳(さしば) 伝茨城県
17. 埴輪 翳(さしば) 出土地不詳
18. 埴輪 盾 奈良県天理市 東大寺山古墳
19. 埴輪 盾 奈良県天理市豊田町
20. 埴輪 盾 奈良県天理市旧丹波市町
21. 埴輪 靫(ゆぎ) 大阪府堺市 大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)
22. 埴輪 靫(ゆぎ) 群馬県太田市
23. 鉄鏃 出土地不詳
24. 埴輪 鞆(とも) 出土地不詳
25. 埴輪 刀の把 関東地方
26. 三輪玉 群馬県
27. 埴輪 正装の女性 群馬県太田市世良田町
28. 埴輪 正装の女性 奈良県北葛城郡河合町 貝吹黄金山
29. 埴輪 手をひろげる女性 出土地不詳
30. 埴輪 手をひろげる女性 出土地不詳
31. 埴輪 手をひろげる女性 出土地不詳
32. 埴輪 鈴鏡を提げて踊る女性 出土地不詳
33. 鈴鏡 出土地不詳
34. 鈴鏡 出土地不詳
35. 耳飾り 群馬県
36. 耳飾り 兵庫県西宮市 関西学院大学構内
37. 耳飾り 奈良県奈良市歌姫町
38. 耳飾り 奈良県奈良市大安寺町
39. 耳飾り 奈良県生駒郡斑鳩町阿波
40. 耳飾り 宮崎県西都市西都原
41. 勾玉 出土地不詳
42. 勾玉 宮崎県西都市西都原
43. 勾玉 奈良県奈良市歌姫町
44. 勾玉 奈良県生駒郡斑鳩町五百井
45. 首飾り 出土地不詳
46. 玉類 群馬県
47. 埴輪 武人 群馬県高崎市八幡原町
48. 鉄製かぶと 京都府城陽市 久津川車塚古墳
49. 鉄製よろい 岡山県岡山市三門町 岩井古墳
50. 埴輪 盾を持つ人 茨城県
51. 埴輪 正装の男性 群馬県伊勢崎市下触町
52. 鉄刀 出土地不詳
53. 埴輪 農夫 出土地不詳
54. 埴輪 農夫 埼玉県比企郡滑川町 月輪古墳群
55. 鉄斧・鍬の刃先 福岡県春日市 赤井手古墳
56. 埴輪 ひげをはやした男性 栃木県真岡市 若旅大日塚古墳
57. 埴輪 裸の男性 群馬県伊勢崎市境上武士
58. 埴輪 馬に乗る人 出土地不詳
59. 埴輪 馬に乗る人 茨城県東茨城郡茨城町小鶴
60. 埴輪 鶏 推定奈良県
61. 埴輪 水鳥 推定奈良県
62. 埴輪 水鳥 出土地不詳
63. 埴輪 鳥 出土地不詳
64. 埴輪 鶏 伝茨城県
65. 埴輪 水鳥 伝大阪府羽曳野市
66. 埴輪 馬 出土地不詳
67. 埴輪 馬 出土地不詳
68. 鉄製馬具 出土地不詳
69. 円筒埴輪・朝顔形埴輪 奈良県天理市 布留遺跡
70. 埴輪 女性の頭 出土地不詳
71. 埴輪 人の腕 出土地不詳
72. 埴輪 人の腕 出土地不詳
73. 埴輪 馬の頭 出土地不詳
74. 埴輪 馬の頭 出土地不詳
75. 埴輪の破片 奈良県天理市 西山古墳
76. 埴輪の破片 奈良県奈良市 佐紀陵山古墳(日葉酢媛陵)
77. 埴輪の破片 奈良県天理市 櫛山古墳
78. 埴輪の破片 奈良県御所市 室宮山古墳
79. 埴輪の破片 奈良県磯城郡三宅町 石見遺跡
80. 埴輪の破片 奈良県天理市 ウワナリ塚古墳
81. 埴輪の破片 奈良県桜井市 珠城山古墳群
82. 埴輪の破片 奈良県生駒郡平群町 烏土塚古墳
83. 武装した人 京都府京都市伏見区 明治天皇伏見桃山陵のために制作

 


 

ナイス好奇心!

Q はにわという名前の由来はなんですか?

A 現代の私たちが「埴輪(はにわ)」と呼んでいる理由は、日本で一番古い歴史書「日本書紀」にあります。ここに、天皇のお后が亡くなった時、お墓に土で作った人や馬やいろいろな物を立てた。この土で作った物を「埴輪」と名付けた。という話が出てきます。この話が本当かどうかはともかく、ここから私たちは、古墳に立てられた焼きものを埴輪と呼んでいます。


Q なぜはにわがあるの?

A 埴輪は大きく分けて筒形の円筒埴輪と人や物の形をした形象埴輪の2つがあります。円筒埴輪はすきまなく柵のように並べて、そこから内側は王が眠る聖なる場所であることを表すために作られました。形象埴輪は古墳に葬られた王が立派で権力があって、多くの人がお仕えしていた様子を表すために作られました。多数の埴輪が立ち並ぶ古墳は、古墳そのものも壮大で迫力があったでしょう。


Q はにわはなにでできているの?

A 粘土を焼いて作ってあります。どんな場所の粘土でもよかったという訳ではなく、大きな埴輪を作っても壊れないような粘土がある場所を探して、埴輪作りをしていたようです。


Q 朝顔形埴輪のてっぺんにある皿のようなものは何ですか?水がたまりますよね。

A 朝顔形埴輪は、お供えの食べ物を入れた壺を、円筒形の台の上に置いた様子が原形なので、すぼまっている所から上は、元は壺だった部分にあたります。てっぺんの広がったお皿のような部分は、壺の口の部分です。また、朝顔形埴輪は写真のように全体が筒状になっているので、水はたまりません。
Q4_01


Q はにわはどうして馬にのれるのですか?

A 馬に乗った人の埴輪のことだと思います。埴輪は古墳に葬られた王がどれだけ立派で権力があったかを表したり、古墳を立派に見せたりするために立てられました。人物の埴輪は王にお仕えする人であり、馬の埴輪は王が当時貴重品だった馬や馬具を持っていたことを表していると考えられます。馬に乗った人の埴輪は、その両方の意味を持っていたのでしょう。


Q はにわは破片で出土するのにそれがどの一部分か何故わかるのですか?

A 完全な形の埴輪をたくさん写真で見ておいて、大体の形を覚えておきます。そうすれば馬具のところだなとか、人の手だなとか判断できるようになります。また、平らな板状の破片であれば人や動物の可能性は低く、家の可能性が高いとか、盾の埴輪によく描かれる三角形の文様があれば盾だと判断します。でも何の埴輪の破片か分からない場合も多いです。


Q はにわ作りの専門の人がいたのですか?

A 埴輪を焼く専用の窯の近くに住居の跡が発見されることがありますので、専門の人はいたようです。でも専門というほどではなくて、必要な時には埴輪作りをするという感じの人もたくさんいたと思われます。


Q はにわの種類は全部で何種類ですか?

A 大きく分けると円筒埴輪と形象埴輪の2種類です。
 細かくすると円筒埴輪は朝顔形埴輪と円筒埴輪に分けられます。
 形象埴輪は家形埴輪と器財埴輪と人物埴輪と動物埴輪に分けられます。
 器財埴輪には王の権威を表す蓋(きぬがさ)、翳(さしば)と王の武力を表す盾、矢の入れ物、弓を引く時の道具、刀、よろいかぶとがあります。
 人物埴輪は男性と女性があり、女性の多くは髪を結って正装した姿ですが、男性は武人、正装の人、盾を持つ人、馬に乗る人、鷹を手にのせる人、琴を弾く人、力士、馬を牽く人、農作業中の人など多様です。
 動物埴輪は馬と鳥が大半ですが鳥には鶏と水鳥があり、ほかには猪、鹿、犬、魚、むささびもあります。
 それ以外に船や椅子、柵、帽子などもあります。
 数え切れないというほどではありませんが、30種類くらいはありそうです。


Q 古墳に埋めるときどれくらい埋めるのですか?

A 古墳や埴輪の種類によっていろいろですが、奈良県の東大寺山古墳では高さ80cmくらいの円筒埴輪を立てるのに10~15cm埋めていました。形象埴輪の場合は、家形埴輪や馬など安定が良ければ、あまり埋めないで地面に置くだけのこともありました。それぞれの埴輪の高さに応じて、倒れない程度に最小限埋めたと思われます。


Q はにわはなんでこんなにもいろいろな形があるんですか?

A 埴輪は大きく分けて筒形の円筒埴輪と人や物の形をした形象埴輪の2つがあります。
 円筒埴輪は、お供えの食べ物を入れた壺を円筒形の台の上に置いた様子が原形なので、筒形です。
 形象埴輪は家形埴輪と道具の埴輪と人物埴輪と動物埴輪があります。家形埴輪は神殿や王の家を表すために作ったので、建物の形です。道具の埴輪は王の権威や強さを表すために作ったので、当時儀式や戦いの時に使っていた道具の形です。人物はいろいろな役目の人の恰好をしています。動物は神聖と考えられた鳥と、財力の証である馬が多く、狩りの対象である猪もあります。
 それぞれの埴輪は作られた理由が違っていますが、いずれも埴輪にして古墳の上に並べる必要があったものばかりだったのでしょう。


Q 模型の町はどうやってつくったのですか?また何日かかりましたか?

A 家形埴輪が並んでいることだと思います。家形埴輪がいくつも並んでいる場合、それぞれの建物は神殿やお祭りをするための建物や王の家など、意味することが異なっていたと考えられています。当時は建物ごとに置く位置が決めてあって、それに従って配置したと思われます。何日かかったかは、てがかりがないのでわかりませんが、埴輪を作って古墳まで運ぶ日数も数えると、何ヶ月もかかったかもしれません。


Q 頭のてっぺんがない人物埴輪が展示してあります(盾を持つ人)が、ほかにもありますか?

A 関東地方で、特に茨城県と千葉県に分布の中心があり、埼玉県と神奈川県でも出土しています。東北から九州まで広がる人物埴輪のなかでは、ごく少数で狭い地域にしかないと言うことができますので、それぞれの作り手は関係があったのかもしれません。


Q 土はどこから持ってきていますか?

A 古墳のところで埴輪を作ったわけではなくて、埴輪に合っている土がある場所に埴輪作りの工房を作って、できあがった埴輪を古墳まで運んでいたようです。運んだ距離は10km以上にもなります。どうやって運んだのか、謎です。


Q 7色の埴輪はありますか?

A 埴輪は粘土で作るので、茶色です。そこに、赤や白色の土を水に溶かして作った顔料を塗ることがあります。青や黄色は発見されていません。


Q 展示品で一番驚いたものはなんですか?

A 割れてしまって、いまは頭から腰までしかない、男性の埴輪を展示しています。高さは50cmくらいで、栃木県の出土品です。いつも何気なく見ていたのですが、全身が残っていたら1m50cmくらいはある大きな埴輪なんだなと気づいた時、その埴輪を見る目が変わりました。


Q 埴輪は何をしている時にみつけたの?

A 埴輪は古墳の上に並べるので、1000年以上経った今でも、古墳に登ると埴輪の破片が落ちていることはあります。考古学の専門家が発掘調査をすると、土に埋まっている大きい埴輪を見つけることができます。発掘調査は、都道府県に届けを出して考古学の専門家がしなければならないと法律で決まっています。


Q 埴輪は高いの?

A 埴輪に限らず、日本の考古資料が売られている場合、割れていると安いです。そこで、割れてなくなっている部分を樹脂や石膏で上手に補修して売られることもよくあります。全体の形が整っていれば高い、大きいものは高い、顔つきがかわいかったり恰好が良かったら高いということになります。古美術市場で大事なのは見た目ですが、考古学で大事なのは、どこから出土したかという情報です。小さな破片でも出土地が分かっていれば、重要な研究材料になります。


Q 「明器」とはなんですか?

A これは企画展ではなくて、常設展示の中国考古で見つけて下さった言葉ですね。古代中国では、人や動物や建物など、亡くなった人の身の回りにあった物の模型を焼きもので作って、お墓の中に埋めました(埴輪は埋めないで古墳の上に並べたので、埴輪とは違うものです)。これを陶製明器と呼びます。明器とは中国語で、実用品ではなく形だけ写した模型のことです。


Q ウサギの埴輪はありますか?

A いまのところ、ほとんど知られていません。神話「いなばの白兎」があるほどに、うさぎは身近な動物だったはずなのですが、埴輪を作るような存在ではなかったのでしょう。


Q 埴輪はどうやって作られますか?

A まず、焼いても割れたりしない埴輪に適した粘土がある場所に工房を作ります。粘土をこねて形を作る場所と、焼くための場所、工人たちが住む場所などが必要です。円筒埴輪は、まず帯のように伸ばした粘土の両端をつないで輪にします。その上に同じような大きさの粘土の輪を何段も積み上げていきます。1段の高さは5~10cmくらいです。次に段ごとのつなぎ目がはずれないように、表面全体をなでたりハケでひっかいたりします。そして、細い粘土の帯を何本か横向きに貼り付けて(突帯)、突帯の間にいくつか孔を開けて(透かし孔)、焼きます。この間に粘土のかたさや湿り具合などを見極めて、壊れないように気を配ったことでしょう。形象埴輪もこの作り方を応用しています。


Q 土偶と埴輪の役割はどう違いますか?

A まず、土偶は縄文時代のものなので、今から2500年以上前に作られた物です。埴輪は古墳時代、今から1500年くらい前に作られた物で、その2つの時代の間には、弥生時代がありました。
 土偶は、家の入り口や、集落の中や少し離れたところから出土します。全て女性の姿なので、女性だけができること、出産に関わる願い事をした道具と考えられています。出産、誕生、命がつながる、これからも一族が生きていく というようなことですね。
 それに対して埴輪は、権力者のお墓、古墳の上に並べられました。埴輪の始まりは、お供え物を入れた壺の形の埴輪を、棺を埋めた場所の上に並べたので、亡くなった権力者を大切に思うことを表したのでしょう。その後、家やいろいろな道具や人、動物の埴輪が加わっていきます。家の埴輪は、権力者が祭祀をした神殿や祭殿や、住居と考えられます。道具の埴輪は権威と武力を表す物が象られており、人の埴輪は権力者に仕えた人たち、動物の埴輪は神聖とされた鶏や富を表す馬、狩りの様子を表す猪や犬です。こんなにいろいな埴輪が並んでいると、古墳は立派に見えたことでしょう。埴輪は、亡くなった権力者をたたえるために作られたと言うことができます。


Q 埴輪は粘土ですか?

A 粘土で作ります。湿った粘土で形を作って、乾燥させてから焼きます。埴輪の工房だった場所を発掘すると、焼く時に割れてしまった失敗作もたくさん出土します。


Q 埴輪にたくさんの丸い孔が開いているのは、作る時に棒を刺していたのですか?

A 孔は円筒埴輪にも形象埴輪にも必ずあります。孔を開ける理由の一つは、焼きものは、焼いている間に少し縮んで小さくなります。すき間も孔もなかったら、縮む時に割れてしまうので、わざと孔を開けてあるのです。ただ、孔は丸ばかりではなくて、三角形や四角形などいろいろな形があり、ひとつの埴輪で混じっていることもあるので、なにか意味があったのかもしれません。孔の開け方は、焼く前にまだ粘土が湿っている間に先のとがった道具で切り込んで開けます。


Q その頃の日本にも馬はいたのですか?日本に昔からいたのですか。大陸から持ってきたのですか?

A 馬はもともと日本にいませんでした。5世紀に朝鮮半島から連れてこられたのが最初です。同時に馬の飼い方を知っている人たちや、馬に乗る道具(馬具)も渡ってきました。馬は大きな動物ですし、飼うためには広い場所も必要なので、馬を所有できたのは権力者でした。馬具は5世紀以降の古墳の副葬品として大切に扱われます。奈良県藤ノ木古墳から出土した豪華な馬具は国宝です。


Q 茶色以外の埴輪はありますか?

A 埴輪は粘土で作った焼きものなので、すべて茶色です。ただし、焼き上がった後に赤や白色の土を水に溶かして塗った埴輪もあります。今は見えにくくなっていますが、作った時には茶色、赤、白がはっきり見えて、効果的だったでしょう。

ページの先頭へ